カビや埃の匂いが鼻を刺激する。
「あんまり動くなよ。後ろにモップがあるぜ」
自分を抱える聡の身体を押し返そうとして、だが耳元で忠告されて動きを止める。
狭い掃除用具入れにゴチャゴチャと詰め込まれた箒やモップ。その中に身を押し込め、聡はすばやく戸を閉じる。
警備員に見つかれば、どうなるか?
美鶴を毛嫌いする教頭の浜島に知れれば、即退学だろう。
背中に両腕をまわされ抱きしめられても、今の状態では何もできない。
じっとりとしたお互いの汗の臭いに埃がまじって、環境としては最悪だ。だがそうしているうちにも、見回りの足音は大きくなる。
聡の広い胸に顔を埋めたまま、今はじっと去るのを待つしかない。
それは聡も同じこと。
腕の中に美鶴を抱え込んだまま、あまりに狭すぎる環境の中で瞳を閉じ、耳にだけ集中する。
集中しているはずなのだが―――――
閉じられた空間の中で、暑苦しいはずのぬくもりが心地よく感じられる。
美鶴を抱きしめたことは過去にもあったが、その存在をゆっくりと感じることなど、あまりなかった。
いっつも、俺が暴走しちまってるからな
それに、大概は美鶴に押しのけられてしまう。こうやって腕の中でおとなしくしているコトなどない。
暗闇の中で、細い首筋がぼんやりと白い。
テニスをしていたころの浅黒く焼けた肌も色っぽかったけど、こういう白い肌も……―――
うーっ
今はそれどころじゃないだろうと言い聞かせても、どうしても意識してしまう。
落ち着けー 落ち着けー
できるだけ美鶴の感触から気を逸らせようと、不自然に深呼吸などしてみる。
…………?
汗と埃とカビの臭いが充満する世界に、微かな香り。甘いのに甘ったるくはなく、少し胸に沁み込むような爽やかさ。
噎せそうなほどキツい悪臭から逃れようと、無意識にその香りを鼻で探した。
―――― 髪の毛が、聡の鼻をくすぐった。
柔らかな感触と甘い香り。
シャンプーか。
触れる髪はほとんど乾いているが、ところどころ湿っぽい。
汗かもしれないが、これほど香りが残っているということは――――
コイツ、風呂上りに来やがったなっ
ったく、いくら夏だからって、風邪引くだろっ だいたい、こんなイイ香りさせてたら、変なヤツに絡まれるだろーがっ
防犯意識皆無の美鶴に呆れ、だが漂う香りを、そっと楽しむ。
甘さと清涼感の混じった、心地良さ。
変わった匂いだな?
その瞬間、ゆったりとした声が耳底を突いた。
「良い香りですね」
色白で痩せていて、一見物腰柔らかそうな男性。だが聡は、まったく信用していない。
だいたい、やってるコトが気障りなんだよ
美鶴がそんな聡を諌め、相手を庇うのも気に入らない。
「銀梅花ですね」
聞いたこともない名前だった。良いとは思ったが、あまり強い香りではなかったので、すぐに忘れてしまった。
だがこの香りは、たしかにそこに漂っていた。漂って、美鶴と霞流慎二を包んでいた。
銀梅花―――――
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